2013年 01月 29日
驚愕 |

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Nagamimi-yozaru No.2 芝田文乃(写真・翻訳など)とボグダン・ザヴァツキ(絵など)の活動を紹介するサイト 旧・このごろのボグダン 2007年9月以前の記録 いったりきたり日記 Shibata's Blog 芝田文乃のブログ z dnia na dzień Blog Bogdana po polsku その他のジャンル
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2013年 01月 29日
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by nagamimi_2
| 2013-01-29 23:55
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2013年 01月 05日
ついにオフシャクのスタッフのだれか、あるいはオフシャク [Jerzy Owsiak 1953- イェジィ・オフシャク、ポーランドのジャーナリスト、ショーマン、慈善活動家。クリスマス・チャリティ・大オーケストラ財団設立者] 自身が目覚めた。もしかすると、あらゆるオフシャク(に限らないが)の運動は病気の子供の援助にのみ関係していたことに、自分がこれまで気づいていなかったのかもしれない。
まだ自分が現在ほど健康に問題がなかった頃でさえ、高齢者だって生きたいし、その権利がある、とはだれも思っていないことが、いささか心外になりだしていた。だから余計に腹立たしかったのだ。子供のこととなるとあれほど涙もろくて絶望的なことが。高齢者だって同じく、ごみ捨て場や墓場に対してかよわいものではないか? それでオフシャクは目が覚め、慈悲深くも、次回の募金の半分は病気の子供たちのために、もう半分はシルバー世代の治療に使うと宣言したのだ。ひょっとするとボジェナ・ヴァルテル [Bożena Walter 1938- ポーランドのジャーナリスト、TVN「あなたはひとりじゃない」財団設立者] 女史も身震いするかもしれない。彼女の運動ももっぱら子供のために、だから。 高齢者だって病気になるし、かよわいし、あと少しは生きる権利がある。とりわけこれまでの人生で一度ならずそれに値することをしてきたのだからね。 ▲
by nagamimi_2
| 2013-01-05 23:55
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2012年 12月 18日
TVNのトーク番組『Rozmowy w toku(ロズモヴィ・フ・トク=会話進行中)』とTTVでのその再放送は、しだいに見る気がしなくなっている、というか、だんだんうんざりしながら見ている。番組ホステスのエヴァ・ジュジズガ Ewa Drzyzga はコンセプトを見失い、しだいに愚かになっているようだ。
以前の彼女は、本当に興味深く社会的に難しいテーマを扱い、自分のスタジオで、小さな町に住むロマやポーランドの近隣諸国の人々と和解することさえできた(これは気に入った)のに、いまじゃポピュリズムと安っぽいセンセーションに陥っている。 たとえば昨日は、身体障害を持つ若い人たちがセックスにどう対処しているのかというところまで聞いて見るのをやめた。実際、他人がそれをどうやっていようと関係ないし、身体障害者であればなおさらだ。これは不健全で悪趣味な好奇心である。 他の点では感じのよい車いすの青年が、自分がバイアグラを飲むと「さらにいっそう」体に悪いのではないかと彼女が心配した、と話した瞬間にチャンネルを変えた。 ジュジズガは、どうだった?と訊き、青年は「zajebiiiście!(ザイェビシチェ=英語のfu○kingにあたるポーランド語の表現)」と答え、エヴァと聴衆からやんやの喝采を受けた。最高だね! それもこんな文脈では! このいまいましい単語は、なにやら奇妙な方法で、『mamtalent(私には才能がある)』や『tylkomuzyka(音楽だけ)』[いずれも素人のタレント発掘オーディション番組] といった多くのポップカルチャー番組において許可証を獲得してしまった。なにかというと出演者も審査員もこの単語を観衆に誇示している。 もしかしてこれに気付いた人がいたのかもしれない。アグニェシカ・ヒリンスカ Agnieszka Chylińska (M・フォレムニャク M. Foremniakだったかもしれない)が、奇妙で一見婉曲的な定義「zajedwabiście(ザイェドヴァビシチェ)[zajebiście(fu○king)にjedwab(イェドヴァプ=絹)をくっつけた造語]」を使い始めたからだ。だが、いやらしい物から彼らを解放することはあまりに難しく、それを絹でくるんでも何の役にも立たない。 彼らが自分の祖母や曽祖母に、かつてロシアの赤軍兵士が「解放された」地域の娘たちに何をしたのか、兵士がそれをなんと呼んでいたのかと尋ねてみれば、彼らの耳目にすべてがそんなに「zajebiste(ザイェビステ)」であることをやめるのかもしれない。 ▲
by nagamimi_2
| 2012-12-18 23:55
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2012年 11月 22日
ポーランドのクロスカントリースキー選手、ユスティナ・コヴァルチク Justyna Kowalczyk に対してまたもやひどい嫌がらせ。再びポーランド対スウェーデン戦、再びスウェーデンは粗野で無礼なやり方で、自国のスポーツ選手たちを脅かす大胆さを持ったこの女子選手の生活を「楽しくする」ことにひたすら努めている。
TV-infoで知ったのだが、前シーズンと同じく、選手権で彼女に割り当てられた部屋は暖房が粗末で(ここで彼らは自分自身に負けている)、しかも窓がなかった。監督とともに交渉して幾分ましな部屋を獲得したけれども、嫌な後味は残った。 こんな失礼な嫌がらせを行うなんて、奴らは恥ずかしくないのだろうか! こんなことがポーランド国内でスカンジナビアのスター選手に起きてみろ、世界中でどれだけ大騒ぎすることだろう! なぜわれわれポーランド人は彼らのひどいやり口に声を上げようとしないのか? ▲
by nagamimi_2
| 2012-11-22 23:55
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2012年 10月 28日
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by nagamimi_2
| 2012-10-28 23:55
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2012年 09月 28日
テレビの料理番組の出演者が(しばしば高等教育を受けているのに)、料理の材料を紹介するとき、好んで「オリーブのオリーブ油 oliwa z oliwek」と言うのにはいらいらする。
この好みは、ポーランド人民共和国時代に、たとえばペヴェクスで(ドルで)買った商品に関する言われように比肩することができる。 実に腹立たしい。なぜかというと、オリーブの果実から採った油以外に(その名自体が示すように)食用オリーブ油というものは存在しないからだ。それ以外の液状の食用植物油は油OLEJである! 一方、かつてはたとえばミシンにさす油があったし、もちろん赤ちゃんのお尻に塗るオイルもある。だがこれは食用ではないから、まったく別の話だ。 しばらくするとニュースで、某学校長がこう言っているのが聞こえる。「…1年間の間、われわれはさらに継続いたします……」。ポーランド語に哀れみを! 「オリーブのオリーブ油 oliwa z oliwek」も「1年間の間 rok czasu」も「さらに継続 nadal kontynuowanie」も重複表現なのに、インテリと言われる人々によって無思慮にくりかえされている。 学校であの人たちにポーランド語を教えたのはいったいだれなんだ? おそらくは教育をさらに継続している、あの校長先生だろうか? ▲
by nagamimi_2
| 2012-09-28 23:55
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2012年 07月 29日
スポーツ解説者は中継中に恥をかくことがある。柔道解説者の方々! 「技あり」が日本語の用語であるなら日本語の発音をするべきだ。日本語には「ヴw」という子音はそもそも存在しないのだから、「wazaari」は「ヴw」ではなく、ワザンキ łazanki [きしめんを4〜5cm長さで切ったようなパスタ] の「ワ」のように発音すべきだし、ヴァザリという1つの単語ではなく「技」と「あり」という2つの単語なのだ。「w」は現在、ローマ字表記のみに存在しているが、英語のように「ウ」と発音される。
なのに、ポーランド人選手パヴェウ・ザグロドニク Paweł Zagrodnik の俺が見たすべての試合の間ずっと、ヴァザリ、ヴァザリと言っている。ワザアリだというのに! このスポーツに関わる人たちは、関連用語の発音にも興味を持ってしかるべきではないか。だってシカゴ Chicago [ポーランド語読みすると「ヒツァゴ」になる] を「フch」や「ツc」とは言わないじゃないか! もうひとつは、明らかにミスをした人を絶賛するバカバカしさである。今日、アグニェシカ・ラドヴァンスカ Agnieszka Radwańska とドイツのユリア・ゲルゲスとのテニスの試合中、ヴォイチェフ・フィバク Wojciech Fibak と某解説者は、最初から最後までラドヴァンスカの天才ぶりをほめそやしていた。 俺にはこの試合中「世界で2番目のロケット」という彼女の天才ぶりがちっとも見えなかった。とりわけ、ごく簡単なボールをしくじっていたのだから。無論、彼女は負けて、第一回戦で姿を消した。 フィバクのことは、困難な共産主義政権時代のテニスの実績があるので尊敬しているが、しかしヴォイチェフさん! もうちょっと客観的に、あまり盲目的にならないようお願いしますよ。 ▲
by nagamimi_2
| 2012-07-29 23:55
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2012年 07月 27日
今朝はTVP-Kultura (文化)で、週間TV番組表に載っていたドキュメンタリー映画『Kiniarze z Kalkuty(コルカタの映画人)』[監督・脚本:アンジェイ・フィディク Andrzej Fidyk, ドイツ・ポーランド合作、1998年] を見たいと思っていた。おそらくこのエキゾティックな都市の映画館主たちとインド映画制作全般に関する映画だろう。
で、実際に放映されたものは? 『ワパ Łapa』というタイトルの番組である。ドキュメンタリー『ワパ』とは何/誰に関するものか? もちろん先日亡くなった俳優ワピツキのことだ。またしても頭に来たぜ!と思った。この阿呆どもは本当に面白いものが見られる可能性をどれだけ俺から奪えば気が済むんだ。視聴者に対してこんなご大層な番狂わせをあとどれだけやるつもりなんだ? 番狂わせといえば、別の問題も俺をへこませる。早朝(そのドキュメンタリーの前に)TVP-1ではロンドン・オリンピック開会式の最後の準備に関する情報番組をやっていた。 女性プレゼンターは、この大掛かりなイベントに仕込まれた様々な想定外のお楽しみの秘密を主催者から聞き出そうとする記者たちの努力について話し、この状況を次のような言葉でコメントした「…でもそれって普通ですよね…」。 いや、プレゼンターさん、それって普通じゃない! なぜなら、社会に害を与える秘密や役人の犯罪を暴露することはあらゆる点で有益で望ましいが、すばらしいイベントの主催者が準備した秘密のお楽しみを台無しにする試みは俺には理解できないしバカげているからだ。なぜって、こうした想定外のお楽しみ、大掛かりなショウの中の衝撃的な瞬間は、いつだって観衆から好ましく迎えられるからだ。したがって、主催者とその観衆の楽しみを台無しにすることは普通のことではなく、ありきたりの愚行である。 追記。こう考えてもらってもよい。俺は何もせず、ただテレビを見て、それに文句を言っているだけだと。だが手術後47日経っても相変わらず体力がなく、大部分の時間をベッドで過ごしている。できることといったらテレビと新聞を読むことくらいだ。まだ読書という気分ではない。イェジィ・シュトゥール Jerzy Stuhr の『Tak sobie myślę...(私が思うに…)』が手元にあるのだが。これも、がんとの闘いの話だ。なかんずく。 ▲
by nagamimi_2
| 2012-07-27 23:55
| 日々
2012年 07月 22日
1週間あまり前、元ボクサーで1964年の東京オリンピックと1968年のメキシコオリンピックの金メダリスト、イェジィ・クレイ Jerzy Kulej が亡くなった。彼のことは俺も尊敬していたが、亡くなった日の晩、TV-Infoで放映予定だった俺がとても楽しみにしていたサウジアラビアのドキュメンタリー番組の代わりに、このボクサーの記録映像の寄せ集めが放映されたので頭に来た。
昨日も同じだ。テレビ・ニュースで俳優のアンジェイ・ワピツキ Andrzej Łapicki が88歳で亡くなったと報じられた。すると今朝TVP-2ではひじょうに興味深いドキュメンタリー番組『Niebezpieczna Ziemia (危険な地球)』の代わりに、ワピツキに関する似たようなつぎはぎ映像を流したのである。 クレイとは逆で、俺はワピツキには我慢ならない。死者について悪く言うべきではないが、自分の本心を言いたい。俺がこの男を嫌うのは、ポーランド人民共和国時代の恋人役タイプの、恐ろしく気取ったキザな演技のせいである。 それに彼は若い頃、明らかに共産主義者だった。昔の『ポルスカ・クロニカ・フィルモーヴァ Polska Kronika Filmowa (ポーランド・ニュース映画:1944〜1994年に週代わりで制作されていたニュース映画)』を数本見さえすれば、体制にとって「路線に沿わない」「不当な」ものすべてを批判するバカげたコメントとともに、彼のあの気取った声が聞こえてくる。 無論、昨日彼のことを回想した何人かの「親友」の話題は、彼のすばらしい演劇ワークショップや豊かな知識や博学ぶりなどへと流れていった。興味深いことに、彼の生前にそうした意見を耳にしたことはなく、むしろ彼についてはそんなふうに言われていなかった、というか、まったくそんな意見はなかった。 公共テレビは受信料獲得競争に関連して、みずからの使命性を証明しようと躍起になっていて、その方法がなによりも、偉大な故人を追悼する様子を見せる、というバカげたやり方なのだ。いまも憶えているのは、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世の死後、公共テレビばかりか民放も含め、テレビは陰鬱な服喪を1週間続けたことだ。 俺だってあの人のことは大変尊敬していたが、テレビ局が我々視聴者に供したものはやり過ぎだった。1週間かそれ以上に渡って暗い番組ばかりで、ヴァチカンの葬儀の再放送、法皇の祖国への巡礼の記録映像など、そのうちの半分は白黒の色調、そんなのが繰り返し繰り返し放映されたのだ。 テレビ局の阿呆どもは、面白い番組を楽しみに待ってそれを見ようと計画していたのに、こうした期待はずれに終わるということがどういうことだかわかろうとしない。 だれかが亡くなって悲しむ代わりに、俺は幻滅と怒りを感じる。とくにTVPは放映中止になった番組の次回の放映日時を決して伝えないのだから。サウジアラビアのドキュメンタリーはまさに消えてしまい、いつかそれが見られるのかどうかさえわからない。 思うに、たとえ死んでから1週間後に、(急いでくっつけあわせたクズ映像ではなく)入念に準備したドキュメンタリー番組で追悼したとしても、故人は怒らないのではないか。視聴者だって、バカげた番狂わせなしに、予定されていた番組を見る方が満足するだろう。 ▲
by nagamimi_2
| 2012-07-22 23:55
| 日々
2012年 01月 25日
昨年10月末、テレビ番組『1分間で100万 Milion w minutę』の司会者プロコプProkop 某 の態度について書いたとき、別の番組で彼と共演していたドロタ・ヴェルマン Dorota Wellman にも言及し、2人をこき下ろした。この女性に関しては、俺一人がこう思っていたわけではなかったようだ。
ポーランドで最も人気のあるテレビドラマ(『一族 Klan』『善かれ悪しかれ Na dobre i na złe』『Mは愛(ミウォシチ)のM M jak miłość』『幸福の色 Barwy szczęścia』など)の脚本家イロナ・ウェプコフスカ Ilona Łepkowska はこう語った。 「人前でドダ Doda [有名な歌手] のパンティの話をするなんて恥ずかしくないのかしら、ボリス・シッツ Borys Szyc [有名な俳優] が自分の彼女を家から追い出したのか、それとも彼女の方から出ていったのかとか。(中略)その他の点ではインテリ女性であるドロタ・ヴェルマンが、シッツが自宅で何をしているかとか、パーティーの帰りに誰がどこで吐いた、立ち小便をしたなどと話すのには不快感を覚えます」 何も足さない、何も引かない。これがヴェルマン女史の教養なのだ。実際、俺にはウェプコフスカ女史の連続ドラマが飲み込めない(ゆえに一度も観たことがない)のだが、(作品は別にして)この件においては彼女の発言は的を射ている。 ▲
by nagamimi_2
| 2012-01-25 23:55
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