2008年 12月 08日
ムンバイで救助された人と「道徳的小人」 |
いまになってこのことを書くが、テロリストに占拠されたムンバイのホテルに隠れていたポーランド人EU議会議員が携帯電話で録った映像が数日前テレビで放映された。インドの対テロ特殊部隊に救出され、ポーランドに帰国してから彼はテレビに出演した。すでにリラックスし、生きていることに幸せを感じている様子だった。画面では救助されて落ち着いた人の顔と、自分を録画するあきらめきって怯えた父親の顔が交互に映った。
彼はささやき声で自室のドアの向こうで起こっていることを話し、妻と子どもたちに別れを告げる。最後に、この携帯電話を見つけた人は妻に届けてくれるようにと頼む。廊下で銃声が聞こえ、外国人グループを殺しているとわかっていたので、彼はこうささやいた。「もうすぐ俺のところに来る…、そしたら終わりだ。おまえたちを愛しているよ、さよなら…」自分の部屋のドアをバンバンたたく音さえ聞こえたが、それは静まった。
彼はたまたまナイフを見つけ、自分が殺される前に少なくともテロリストの1人の頸動脈を切ってやると決意した。記者が「人を殺せると思いますか?!」と尋ねると、「何を考えているんですか、もちろんですよ!」と即答した。恐怖と諦念が、穏やかな人間の自分自身も知らない衝動的な反応を解放するという例をここに見ることができる。
このことを書いたのは、状況の悲惨さとこの報告の確かさが俺に強い印象を与え、このことを忘れることができないからだ。救助された人(記憶が確かならば、ミシャク氏)は、2つめの命をもらったような気がすると言った。
カチンスキ大統領はみずからのツイてないアジア歴訪を1日短縮したので、グダンスクでのヴァウェンサのノーベル賞受賞25周年記念式典に出席することはできたはずだが、しかし現れなかった。世界中から大勢のゲストが来ていた(ヴァウェンサは他のノーベル平和賞受賞者を含む約1000人を招待した)グダンスクへ行く代わりに、カチョルはお供とともに、ラジオ・マリィヤ [カトリック原理主義的ラジオ局] 17回目の「誕生日」に出かけ、そこで外国人嫌いと反ユダヤ的雰囲気のなか、リジク神父に敬意を表したのである。
このカチョルらのトルンにある憎悪の殿堂訪問は、いささか小泉元首相の執拗な靖国神社参拝を思い起こさせる。双子のカチンスキは自分たちの職務をしょっちゅう忘れ、自分はだれが好きでだれが嫌いかを示すことに子どもみたいに躍起になっている。
グダンスクではトゥスク首相が手短にこう述べた。「我々はここにいる、レフ・ヴァウェンサが決して1人にならないように。親愛なるレフ、あなたは過去も現在もそして将来も我が国の伝説の偉大なヒーローである。これがすべてだ。以上」
外務大臣ラドスワフ・シコルスキも自分の意見をこう付け足した。「元大統領、いま道徳的小人らがたたいている陰口などは、どうかお気になさらないように。彼らは今日、口だけは大胆ですが、それが難しかった30年前、あなたは勇敢でした。そのことで我々はあなたに感謝しています」
いま2人の「背が下劣な」兄弟はきっと裁判所に訴えるかどうか思案していることだろう。だがすでに今朝ラジオで言語学者たちの「鑑定」を耳にした。学者らが言うには、「小人」という語が「道徳的」と結合した場合、侮辱的であるということを裁判で立証するのは難しいだろうとのこと(ヒヒヒ)。
彼はささやき声で自室のドアの向こうで起こっていることを話し、妻と子どもたちに別れを告げる。最後に、この携帯電話を見つけた人は妻に届けてくれるようにと頼む。廊下で銃声が聞こえ、外国人グループを殺しているとわかっていたので、彼はこうささやいた。「もうすぐ俺のところに来る…、そしたら終わりだ。おまえたちを愛しているよ、さよなら…」自分の部屋のドアをバンバンたたく音さえ聞こえたが、それは静まった。
彼はたまたまナイフを見つけ、自分が殺される前に少なくともテロリストの1人の頸動脈を切ってやると決意した。記者が「人を殺せると思いますか?!」と尋ねると、「何を考えているんですか、もちろんですよ!」と即答した。恐怖と諦念が、穏やかな人間の自分自身も知らない衝動的な反応を解放するという例をここに見ることができる。
このことを書いたのは、状況の悲惨さとこの報告の確かさが俺に強い印象を与え、このことを忘れることができないからだ。救助された人(記憶が確かならば、ミシャク氏)は、2つめの命をもらったような気がすると言った。
カチンスキ大統領はみずからのツイてないアジア歴訪を1日短縮したので、グダンスクでのヴァウェンサのノーベル賞受賞25周年記念式典に出席することはできたはずだが、しかし現れなかった。世界中から大勢のゲストが来ていた(ヴァウェンサは他のノーベル平和賞受賞者を含む約1000人を招待した)グダンスクへ行く代わりに、カチョルはお供とともに、ラジオ・マリィヤ [カトリック原理主義的ラジオ局] 17回目の「誕生日」に出かけ、そこで外国人嫌いと反ユダヤ的雰囲気のなか、リジク神父に敬意を表したのである。
このカチョルらのトルンにある憎悪の殿堂訪問は、いささか小泉元首相の執拗な靖国神社参拝を思い起こさせる。双子のカチンスキは自分たちの職務をしょっちゅう忘れ、自分はだれが好きでだれが嫌いかを示すことに子どもみたいに躍起になっている。
グダンスクではトゥスク首相が手短にこう述べた。「我々はここにいる、レフ・ヴァウェンサが決して1人にならないように。親愛なるレフ、あなたは過去も現在もそして将来も我が国の伝説の偉大なヒーローである。これがすべてだ。以上」
外務大臣ラドスワフ・シコルスキも自分の意見をこう付け足した。「元大統領、いま道徳的小人らがたたいている陰口などは、どうかお気になさらないように。彼らは今日、口だけは大胆ですが、それが難しかった30年前、あなたは勇敢でした。そのことで我々はあなたに感謝しています」
いま2人の「背が下劣な」兄弟はきっと裁判所に訴えるかどうか思案していることだろう。だがすでに今朝ラジオで言語学者たちの「鑑定」を耳にした。学者らが言うには、「小人」という語が「道徳的」と結合した場合、侮辱的であるということを裁判で立証するのは難しいだろうとのこと(ヒヒヒ)。
by nagamimi_2
| 2008-12-08 20:00