2008年 11月 24日
大飢饉 |
土曜日にウクライナではHolodomor―大飢饉―75周年記念式典があった。1932-33年、スターリンの確信犯的政治の結果、ウクライナでは数百万の人々が死んだ。犬、猫、ネズミ、および食用になるあらゆる植物を食べ尽くしたあと、カニバリズムの例も起き始めた。このためにみずからの子どもさえ殺したこともあった。それにもかかわらずスターリンは穀物の大量輸出をやめなかった。なぜなら彼にとっては軍備のほうが重要だったし、加えて彼はウクライナをコルホーズに対する反逆の咎で罰したかったのである。また彼はウクライナ人に、自分たちの国家を夢見るべきではないと思い知らせたかったのだ。
カチンスキ[ポーランド]大統領がその式典に出かけたのは良かった。そこには大飢饉を大量虐殺であると見なした国々の首脳も出席していた。ロシアはウクライナでの弾圧を否定はしないが、これを大量虐殺と呼ぶことは排除している。なぜならばなかんずくロシア人も飢餓で死んだからだ。ロシア人はこの犯罪行為がウクライナ民族に向けられていたという事実を否認している。彼らはいつだって厚かましい嘘をつき、しらを切る。カティンのときもそうだった[カティンの森でソ連軍がポーランド人将校を大量虐殺した事件]。エリツェンが公式に真実を述べ、記録文書の一部をポーランドに渡すまでは。
この大飢饉については、いまようやく多くを知ることになった。俺の学校時代にはこのテーマに関してひとこともなかったのだから*。ユシチェンコ[ウクライナ]大統領は、大飢饉とはウクライナのホロコーストであったと述べた。
*ワルシャワ蜂起に関する真実も同様だった。当時[ソ連の]赤軍は蜂起者たちを援助できたにもかかわらず助けなかった。ヴィスワ川の向こう岸に立ってワルシャワが血まみれになるのを待っていたのだ。このことを俺は1982年の勾留時にようやく知った。勾留された歴史教授らによる講義で。
カチンスキ[ポーランド]大統領がその式典に出かけたのは良かった。そこには大飢饉を大量虐殺であると見なした国々の首脳も出席していた。ロシアはウクライナでの弾圧を否定はしないが、これを大量虐殺と呼ぶことは排除している。なぜならばなかんずくロシア人も飢餓で死んだからだ。ロシア人はこの犯罪行為がウクライナ民族に向けられていたという事実を否認している。彼らはいつだって厚かましい嘘をつき、しらを切る。カティンのときもそうだった[カティンの森でソ連軍がポーランド人将校を大量虐殺した事件]。エリツェンが公式に真実を述べ、記録文書の一部をポーランドに渡すまでは。
この大飢饉については、いまようやく多くを知ることになった。俺の学校時代にはこのテーマに関してひとこともなかったのだから*。ユシチェンコ[ウクライナ]大統領は、大飢饉とはウクライナのホロコーストであったと述べた。
*ワルシャワ蜂起に関する真実も同様だった。当時[ソ連の]赤軍は蜂起者たちを援助できたにもかかわらず助けなかった。ヴィスワ川の向こう岸に立ってワルシャワが血まみれになるのを待っていたのだ。このことを俺は1982年の勾留時にようやく知った。勾留された歴史教授らによる講義で。
by nagamimi_2
| 2008-11-24 20:00