2008年 09月 22日
ザリガニ |
昨日の焼きジャガイモの話のついでに、ザリガニでいっぱいのビャーワ・プシェムシャ川のことを思い出した。さて、その小川に我々子どもは暑い日には水浴びに行ったものだ。それはすごく面白いというほどでもなかった。水がせいぜい膝下までしかなかったからだ。泳ぐのにおあつらえ向きの場所はちょっと遠くて、かなり長く歩かなければならなかったが、その甲斐はあった。それは2つの水没した坑道だったが、これについてはまたの機会に。
いっぽうプシェムシャ川はそれとは別に、我々家族のうち男専用の、晩の楽しみを提供してくれた。母と妹は家に残り、俺と父は新鮮なイラクサを入れた籐のかごと懐中電灯を持って小川に出かけた。我々はその場で靴とズボンを脱ぎ、水に入った。歩きながら砂地の水底を懐中電灯で照らすと、ときどき小さなザリガニを見つけて捕まえることができた。
これは純粋にポーランドのザリガニであって、現在ポーランドの川に少数生息し、さらに少数の土地固有のより大きなザリガニを押しのけているといわれる、よそ者のアメリカザリガニではなかった。
つかまったザリガニは生きたままかごに入れられた。水がなくともイラクサがザリガニの新鮮さを保つことになっていた。1時間もすると2つのかごはいっぱいになり、我々は晩飯を食べにうちへ帰った。
次の日、妹はザリガニの責め苦を見たくないので家から逃げ出した。というのもザリガニを生きたまま沸騰した湯に放り込むからだった。するとあたかも甲高い叫び声のような音を発して(これが俺にはとくに嫌だった)、たちまち赤くなるのだった。ゆであがったら食べられるが、まずそれを父に教わらなければならなかった。父はどのようにザリガニの殻をはずすか、どこにいちばんおいしい肉があるかを見せてくれた。無論、この料理は妹の口には合わなかった。
ときどき母はザリガニ・スープを作った。色はトマト・スープを思わせたが、このスープが俺は嫌いだった。ひょっとしたらスープの見た目がその味とはなはだしく相違していたからかもしれない。
現在ザリガニはポーランドではめったにお目にかかれない。もしいるとすれば、ごくきれいな水のある場所だけだ。有名レストランでは贅沢で高価な料理である。我々はかつてそれを飽きるほど、ほとんど毎日のように食べていたのだ。
いっぽうプシェムシャ川はそれとは別に、我々家族のうち男専用の、晩の楽しみを提供してくれた。母と妹は家に残り、俺と父は新鮮なイラクサを入れた籐のかごと懐中電灯を持って小川に出かけた。我々はその場で靴とズボンを脱ぎ、水に入った。歩きながら砂地の水底を懐中電灯で照らすと、ときどき小さなザリガニを見つけて捕まえることができた。
これは純粋にポーランドのザリガニであって、現在ポーランドの川に少数生息し、さらに少数の土地固有のより大きなザリガニを押しのけているといわれる、よそ者のアメリカザリガニではなかった。
つかまったザリガニは生きたままかごに入れられた。水がなくともイラクサがザリガニの新鮮さを保つことになっていた。1時間もすると2つのかごはいっぱいになり、我々は晩飯を食べにうちへ帰った。
次の日、妹はザリガニの責め苦を見たくないので家から逃げ出した。というのもザリガニを生きたまま沸騰した湯に放り込むからだった。するとあたかも甲高い叫び声のような音を発して(これが俺にはとくに嫌だった)、たちまち赤くなるのだった。ゆであがったら食べられるが、まずそれを父に教わらなければならなかった。父はどのようにザリガニの殻をはずすか、どこにいちばんおいしい肉があるかを見せてくれた。無論、この料理は妹の口には合わなかった。
ときどき母はザリガニ・スープを作った。色はトマト・スープを思わせたが、このスープが俺は嫌いだった。ひょっとしたらスープの見た目がその味とはなはだしく相違していたからかもしれない。
現在ザリガニはポーランドではめったにお目にかかれない。もしいるとすれば、ごくきれいな水のある場所だけだ。有名レストランでは贅沢で高価な料理である。我々はかつてそれを飽きるほど、ほとんど毎日のように食べていたのだ。
by nagamimi_2
| 2008-09-22 20:00