2008年 09月 21日
秋の魅力 |
暦の上では夏がようやく終わりになったところだが、実際にはもう秋で、それもかなり不快なものだ。今年のようにこれほど寒くて(6-10℃)嫌な9月は覚えがない。秋の訪れとともに秋の思い出がよみがえる。
俺の子供時代とその少しあとの時代には、9月と10月の境目はたいていかなり暖かく、焼きジャガイモの季節だった。家族全員、または仲間が集って、数キロのジャガイモその他(例えばソーセージ+酒瓶)を持って、またしばしばアコーディオンかギターも携えて、郊外に出かけたものだ。そこで焚き火をたき、熱い灰が十分できたところで、その中に皮付きのジャガイモを入れる。歌を歌ったり酒を飲んだりしながら(酒なしでもいいが)ジャガイモが焼けるのを待つ。また炎の上では枝に刺したソーセージを焼いた。焼けたジャガイモを棒きれで掘り出し、あつあつのいい匂いのするそれを割って、炭化しているがおいしい皮をむき、塩を振った。それはこの世でいちばんおいしいジャガイモだった。
1964年、クルチェ村で過ごした夏休みに、俺の亡くなった父が、別の家族も参加して、よりどりみどりの焼きジャガイモを作ったことも完璧に憶えている。そのとき父は母とともにだれかから鋳鉄製の大鍋を借りてきて、それを俺たちはビャーワ・プシェムシャ川のほとりに運んだ(この小川にはザリガニがたくさんいたが、それはまた別の話だ)。そこで皮をむいて一口大に切ったジャガイモを、ベーコンと玉ねぎと交互に層になるよう並べ、塩胡椒で調味した。鍋は炎の上で2時間過ごし、それから蓋を取ると、絶妙な香りが我々の空腹な腸をよじった。これもまたおいしい料理で、この2つの味は一生忘れないだろう。
今日はもう不平を言わないつもりだったが、それは無理だ。テレビではちょうどロベルト・マクウォヴィチが自分の番組「料理の旅」で、リューネブルク(ドイツ、ニーダーザクセン州)の市場を紹介している。そこではアスパラガスやその他の野菜を売っている。ジャガイモは数種類あり、品種と大きさによって入念に分類されている。ある種類はピューレ用、別のはサラダ用、また別のはフライドポテト用。ヨーロッパの普通の国ではこうなっている。だが我がジャガイモの国では? 一度だって区別なんかない。ジャガイモはジャガイモだ。それどころか、違う品種を混ぜて売っているので、ゆでてみるとあるものは柔らかすぎ、あるものは生煮えになる。これはまたしても我が国のいい加減さ(共産主義時代の残余)を示すスキャンダルである。晩春だけは、黄色い色で例えば「ヤヌフキ」か、別のピンク色の新ジャガと区別することができる。
追伸。友人でもある隣人にトンネルの話をした。それに対して彼は(別の)トンネルでプワシュフの住民の女性が襲われたことを持ち出し、そもそも分別のある人なら夜中にあそこを通ったりしないと言った。そして意味ありげにこう付け加えた――酒を2、3杯ひっかけたあとならなおさらだ。がっくり。
俺の子供時代とその少しあとの時代には、9月と10月の境目はたいていかなり暖かく、焼きジャガイモの季節だった。家族全員、または仲間が集って、数キロのジャガイモその他(例えばソーセージ+酒瓶)を持って、またしばしばアコーディオンかギターも携えて、郊外に出かけたものだ。そこで焚き火をたき、熱い灰が十分できたところで、その中に皮付きのジャガイモを入れる。歌を歌ったり酒を飲んだりしながら(酒なしでもいいが)ジャガイモが焼けるのを待つ。また炎の上では枝に刺したソーセージを焼いた。焼けたジャガイモを棒きれで掘り出し、あつあつのいい匂いのするそれを割って、炭化しているがおいしい皮をむき、塩を振った。それはこの世でいちばんおいしいジャガイモだった。
1964年、クルチェ村で過ごした夏休みに、俺の亡くなった父が、別の家族も参加して、よりどりみどりの焼きジャガイモを作ったことも完璧に憶えている。そのとき父は母とともにだれかから鋳鉄製の大鍋を借りてきて、それを俺たちはビャーワ・プシェムシャ川のほとりに運んだ(この小川にはザリガニがたくさんいたが、それはまた別の話だ)。そこで皮をむいて一口大に切ったジャガイモを、ベーコンと玉ねぎと交互に層になるよう並べ、塩胡椒で調味した。鍋は炎の上で2時間過ごし、それから蓋を取ると、絶妙な香りが我々の空腹な腸をよじった。これもまたおいしい料理で、この2つの味は一生忘れないだろう。
今日はもう不平を言わないつもりだったが、それは無理だ。テレビではちょうどロベルト・マクウォヴィチが自分の番組「料理の旅」で、リューネブルク(ドイツ、ニーダーザクセン州)の市場を紹介している。そこではアスパラガスやその他の野菜を売っている。ジャガイモは数種類あり、品種と大きさによって入念に分類されている。ある種類はピューレ用、別のはサラダ用、また別のはフライドポテト用。ヨーロッパの普通の国ではこうなっている。だが我がジャガイモの国では? 一度だって区別なんかない。ジャガイモはジャガイモだ。それどころか、違う品種を混ぜて売っているので、ゆでてみるとあるものは柔らかすぎ、あるものは生煮えになる。これはまたしても我が国のいい加減さ(共産主義時代の残余)を示すスキャンダルである。晩春だけは、黄色い色で例えば「ヤヌフキ」か、別のピンク色の新ジャガと区別することができる。
追伸。友人でもある隣人にトンネルの話をした。それに対して彼は(別の)トンネルでプワシュフの住民の女性が襲われたことを持ち出し、そもそも分別のある人なら夜中にあそこを通ったりしないと言った。そして意味ありげにこう付け加えた――酒を2、3杯ひっかけたあとならなおさらだ。がっくり。
by nagamimi_2
| 2008-09-21 20:00