2008年 08月 26日
写真 |
インターネットが使えるので、「ガゼタ・ヴィボルチャ紙」を買うのは月曜と金曜だけにしている。月曜は「ドゥジィ・フォルマト」と「求人」の別冊付録が付き、金曜はコメントと映画評の載った1週間分のテレビ番組表が付くからだ。でも今日は別の付録のせいで例外的にガゼタを買った。それはレフ・ヴァウェンサ [日本ではワレサとして知られる] の肖像がついたバッジで、「口髭の生えたある男の肖像(20世紀後半)」という文字が書いてある。
このバッジはAのために取っておく。ヴァウェンサは彼女の「親友」だからだ。こう書くのは、ある1枚の写真のせいである。
1995年の大統領選挙前、俺たちは俺の友人とともにルィネク・グウヴニィ [クラクフの中央広場] を散歩していた。すると突然俺たちは、黒いコートを着た雄牛のように体格のいい男たちに取り囲まれていた。俺と友人は黒服の男たちの輪から押し出されたが、Aは中に残り、肩を抱きかかえられたのである……ヴァウェンサに。警備員の1人が彼女の首からカメラを取り、そのカメラでヴァウェンサといっしょの写真を撮った。その瞬間、俺は気付いた。俺たちはちょうど、レフ・ヴァウェンサが選挙前にクラクフで良い雰囲気「作りをしている」瞬間に出くわしたのだと。
2、3か月後、Aからその写真の大きなプリントを受け取ったとき、6月の訪問を記念して彼女に意外なプレゼントをしてあげたいと思い、俺はその写真が撮られた経緯とヴァウェンサのサインを頼む手紙を添えて、その写真をワルシャワに送った。結局返事は来ず、元大統領は高慢だと思ったりもしたが、いまにして思えば、きっとその封筒は彼の手に届きさえしなかったのだろう。
さまざまな秘書やその他ペンをかじっている連中が、彼が読むべきものとそうでないものを決めているのだ。
追伸。このバッジの作者は、有名な風刺作家、ヤツェク・フェドローヴィチ Jacek Fedorowiczである。
このバッジはAのために取っておく。ヴァウェンサは彼女の「親友」だからだ。こう書くのは、ある1枚の写真のせいである。
1995年の大統領選挙前、俺たちは俺の友人とともにルィネク・グウヴニィ [クラクフの中央広場] を散歩していた。すると突然俺たちは、黒いコートを着た雄牛のように体格のいい男たちに取り囲まれていた。俺と友人は黒服の男たちの輪から押し出されたが、Aは中に残り、肩を抱きかかえられたのである……ヴァウェンサに。警備員の1人が彼女の首からカメラを取り、そのカメラでヴァウェンサといっしょの写真を撮った。その瞬間、俺は気付いた。俺たちはちょうど、レフ・ヴァウェンサが選挙前にクラクフで良い雰囲気「作りをしている」瞬間に出くわしたのだと。
2、3か月後、Aからその写真の大きなプリントを受け取ったとき、6月の訪問を記念して彼女に意外なプレゼントをしてあげたいと思い、俺はその写真が撮られた経緯とヴァウェンサのサインを頼む手紙を添えて、その写真をワルシャワに送った。結局返事は来ず、元大統領は高慢だと思ったりもしたが、いまにして思えば、きっとその封筒は彼の手に届きさえしなかったのだろう。
さまざまな秘書やその他ペンをかじっている連中が、彼が読むべきものとそうでないものを決めているのだ。
追伸。このバッジの作者は、有名な風刺作家、ヤツェク・フェドローヴィチ Jacek Fedorowiczである。
by nagamimi_2
| 2008-08-26 20:00