2011年 05月 01日
メーデー |
今日は大部分のポーランド人にとって、何よりもまずヨハネ・パウロ2世の列福 [カトリック教会において徳と聖性が認められ、福者の地位に上げられること] である。もはや華々しく祝われるメーデーはないが、俺の記憶にはかなり印象強く残っている。
バシュトーヴァ通りの少年にとってメーデーはこのうえない楽しみだった。バシュトーヴァ通りはポーランド人民共和国時代にはパレードが通るクラクフを代表する大動脈であった。ここをリムジンのオープンカーに乗ったエチオピア皇帝ハイレ・セラシェやド・ゴール将軍が通りすぎていき、それを(うちの家族は)この通りのカーブとプランティに面した窓から観察することができた。
メーデー行進の日はたいてい朝から太陽が輝き、大きなメガフォンからマーチが響いていた。母は窓台にもたれやすいように毛布と小さなクッションを置いた。行進見物は数時間続いたからだ。
行進する群衆自体は面白くなかったが、ときどき群衆の中から知り合いのだれかがこっちに向かって手を振り、そのあとでうちに立ち寄るのだった。俺たち子供にとってのアトラクションは、人々が持ったりトラックで運ばれたりしているさまざまなデコレーションだった。
隣のバルコニーには隣家の友人レシェク・Pが陣取っていた。こいつといっしょに、ピンを仕込んだコルクを大きな赤いヘリウム風船に向かってこっそり投げつけると、バンッと音がして、驚いた人はもう垂れ下がった紐を持っているだけなのだった。
時が経つにつれてメーデーは俺にとってアトラクションではなくなった。というのも小学校高学年になると俺たちが行進に引きずり出されはじめたからで、中学でも、のちに仕事先でもそれが通例で強制となった。行進の点呼に出席しないとボーナスを取り上げられ、これは通常の欠勤として扱われた。
親しい仲間どうし、俺たちは「小旗」(赤か赤白の旗)を持たされることを入念に避けた。なぜなら行進のあとでその清算をしなければならない、すなわち、催しの最後まで逃げられないからだった。その重荷がない俺たちはすみやかに行進から離脱し、人目につかない場所で落ち着いて、こっそり買ったウォッカを飲んだ。
5月1日は15時までアルコールの販売は禁止だったが、多くの非合法供給ポイントが活動していた。また、完全に合法の飲み物とサンドイッチの仮設ビュッフェも機能していて、長いことお目にかからなかったハムまたはソーセージを挟んだパンを安く食べることができた。
これを経験したことがない人は、かつての「メーデー」とは何だったのかがわからないだろう。
バシュトーヴァ通りの少年にとってメーデーはこのうえない楽しみだった。バシュトーヴァ通りはポーランド人民共和国時代にはパレードが通るクラクフを代表する大動脈であった。ここをリムジンのオープンカーに乗ったエチオピア皇帝ハイレ・セラシェやド・ゴール将軍が通りすぎていき、それを(うちの家族は)この通りのカーブとプランティに面した窓から観察することができた。
メーデー行進の日はたいてい朝から太陽が輝き、大きなメガフォンからマーチが響いていた。母は窓台にもたれやすいように毛布と小さなクッションを置いた。行進見物は数時間続いたからだ。
行進する群衆自体は面白くなかったが、ときどき群衆の中から知り合いのだれかがこっちに向かって手を振り、そのあとでうちに立ち寄るのだった。俺たち子供にとってのアトラクションは、人々が持ったりトラックで運ばれたりしているさまざまなデコレーションだった。
隣のバルコニーには隣家の友人レシェク・Pが陣取っていた。こいつといっしょに、ピンを仕込んだコルクを大きな赤いヘリウム風船に向かってこっそり投げつけると、バンッと音がして、驚いた人はもう垂れ下がった紐を持っているだけなのだった。
時が経つにつれてメーデーは俺にとってアトラクションではなくなった。というのも小学校高学年になると俺たちが行進に引きずり出されはじめたからで、中学でも、のちに仕事先でもそれが通例で強制となった。行進の点呼に出席しないとボーナスを取り上げられ、これは通常の欠勤として扱われた。
親しい仲間どうし、俺たちは「小旗」(赤か赤白の旗)を持たされることを入念に避けた。なぜなら行進のあとでその清算をしなければならない、すなわち、催しの最後まで逃げられないからだった。その重荷がない俺たちはすみやかに行進から離脱し、人目につかない場所で落ち着いて、こっそり買ったウォッカを飲んだ。
5月1日は15時までアルコールの販売は禁止だったが、多くの非合法供給ポイントが活動していた。また、完全に合法の飲み物とサンドイッチの仮設ビュッフェも機能していて、長いことお目にかからなかったハムまたはソーセージを挟んだパンを安く食べることができた。
これを経験したことがない人は、かつての「メーデー」とは何だったのかがわからないだろう。
by nagamimi_2
| 2011-05-01 23:55
| 歴史