2011年 02月 12日
「認めたくない真実」の展覧会 |
ポーランドの過去を神話化することや、カトリック信者であるポーランド人を他国に抑圧ばかりされてきた国民として描くことに、以前からいらいらさせられている。なにしろポーランドの歴史には恥ずべきエピソードがいろいろあるではないか。
たとえばヴィスワ作戦 Akcja Wisła でポーランド政府は、ウクライナ人、ボイコ人、ドリニャン人、レムコ人 [いずれも現在のポーランド南東部に居住していた民族] 、およびポーランド・ウクライナ混成の家族を、ポーランド南東部から、いわゆる回復領 [Ziemie Odzyskane 第二次大戦後、ポーランド領に編入された旧ドイツ領地域] に強制移住させた。
同様にひどかったのが、1938年5月から7月の「ポーランド化・権利回復作戦 Akcja polonizacyjno-rewindykacyjna」である。ポーランド第二共和国(1918-1939)政府は作戦をこのように名付け、60日間にヘウムの地 Chełmszczyzna とポドラシェ Podlasie 南部 [いずれもポーランド南東部] で、127の正教の教会、礼拝堂、祈祷所が破壊された。
当時はウクライナの国会議員らの説明要求や、一部の教会関係者や上院議員の憤りも役立たなかった。しかもそれで終わりではない。正教徒は強制的にカトリックに宗旨替えさせられ、ポーランド語のみを話すよう強制されたのである。殴られた人もいたし、正教会を擁護する人々は法廷に立たされた。
2年前、こうした悲劇的な出来事から70周年を記念して、「1938年、ヘウムの地とポドラシェ南部における正教会破壊」というタイトルのめずらしい展覧会が生まれた。
展覧会の作者、グジェゴシュ・クプリャノヴィチ Grzegorz Kuprianowicz とスワヴォーミル・ヴィスピャンスキ Sławomir Wyspiański は、写真、および、この劇的な事件を記載した公文書を集めた。後援はルブリンとヘウムの正教会の大主教、また、ポーランド下院議員であるヤン・ヴィダツキ Jan Widacki 教授も支援している。
残念ながらこの2年間、展覧会は主に正教徒社会において展示された。それ以外で展示しようとする人はいない。だれひとり1938年の事件について話したがらないし、また、こうした事件はいつだって起こってきたじゃないか、と反対する人たちもいる。
この野蛮な行為に対してポーランド国内の正教徒に謝罪する決議に関する2008年(正教会破壊70周年)の下院の討論を思い起こせば十分だろう。当時の会議場では、ポーランド人がそんなひどい行為を犯すことはありえない、などという声が聞こえたものだ。
そうとも! われわれポーランド人はつねに英雄であり、善きサマリア人であったのだ!
あいにく、ヤン・ヴィダツキ教授が言うように、「われわれがウィーン近郊から来た騎兵(フサリア husaria)の継承者であるならば、正教会を破壊した人々の継承者でもあるのだ」。
[『ガゼタ・ヴィボルチャ』紙の記事に基づく]
たとえばヴィスワ作戦 Akcja Wisła でポーランド政府は、ウクライナ人、ボイコ人、ドリニャン人、レムコ人 [いずれも現在のポーランド南東部に居住していた民族] 、およびポーランド・ウクライナ混成の家族を、ポーランド南東部から、いわゆる回復領 [Ziemie Odzyskane 第二次大戦後、ポーランド領に編入された旧ドイツ領地域] に強制移住させた。
同様にひどかったのが、1938年5月から7月の「ポーランド化・権利回復作戦 Akcja polonizacyjno-rewindykacyjna」である。ポーランド第二共和国(1918-1939)政府は作戦をこのように名付け、60日間にヘウムの地 Chełmszczyzna とポドラシェ Podlasie 南部 [いずれもポーランド南東部] で、127の正教の教会、礼拝堂、祈祷所が破壊された。
2年前、こうした悲劇的な出来事から70周年を記念して、「1938年、ヘウムの地とポドラシェ南部における正教会破壊」というタイトルのめずらしい展覧会が生まれた。
展覧会の作者、グジェゴシュ・クプリャノヴィチ Grzegorz Kuprianowicz とスワヴォーミル・ヴィスピャンスキ Sławomir Wyspiański は、写真、および、この劇的な事件を記載した公文書を集めた。後援はルブリンとヘウムの正教会の大主教、また、ポーランド下院議員であるヤン・ヴィダツキ Jan Widacki 教授も支援している。
この野蛮な行為に対してポーランド国内の正教徒に謝罪する決議に関する2008年(正教会破壊70周年)の下院の討論を思い起こせば十分だろう。当時の会議場では、ポーランド人がそんなひどい行為を犯すことはありえない、などという声が聞こえたものだ。
そうとも! われわれポーランド人はつねに英雄であり、善きサマリア人であったのだ!
あいにく、ヤン・ヴィダツキ教授が言うように、「われわれがウィーン近郊から来た騎兵(フサリア husaria)の継承者であるならば、正教会を破壊した人々の継承者でもあるのだ」。
[『ガゼタ・ヴィボルチャ』紙の記事に基づく]
by nagamimi_2
| 2011-02-12 23:55
| 歴史