2010年 11月 30日
ポランスキとホロヴィッツ |
1週間ほど前テレビでリシャルト・ホロヴィッツ Ryszard Horowitz に関するすばらしいドキュメンタリーを観た。ホロヴィッツはニューヨークで活動するポーランド人写真家である。
俺にとってこのドキュメンタリーでいちばんおもしろかったのは、この写真家に関する友人たちの発言だった。とりわけ、ロマン・ポランスキ Roman Polański の、2人の共通の幼年期・青年期に関する話が興味深かった。
感動的だったのは、ナチス占領期のクラクフのユダヤ人ゲットーで、3歳のリショ [リシャルトの愛称] の誕生日のために両親が苦労して手に入れたチョコレートドリンクがリショにはおいしくないということが、7歳のロメク [ロマンの愛称] は理解できなかったということだ。
今日Googleで調べてみたところ、ロマンは少し間違えていたようだ。なぜかというと2人の履歴を見ると、ポランスキはホロヴィッツより4歳ではなく、6歳年上なのだ。だがそれはあまり重要ではない。
それからまたポランスキの口からもホロヴィッツの口からも聞いたのだが、2人の家族はクラクフのプランティ近くの集合住宅でいっしょに暮らしていたことがあり(俺が40年以上そこで暮らしていたように)、いっしょにごくささやかな方法で写真の実験をしたことがあるという。
幼いリショともどもホロヴィッツの家族がアウシュヴィッツ・ビルケナウに収容され、オスカー・シンドラー工場の活動のおかげで助かった経緯は大変感動的であった(映画『シンドラーのリスト』参照)。
長年ポーランドから遠く離れているこの2人のアーティストの話の内容と、彼らがいかに純粋なポーランド語を話すかに注意深く耳を傾けていると、彼らはまずいちばんにポーランド人であり、次にユダヤ人であるという印象を抱く。
俺にとってこのドキュメンタリーでいちばんおもしろかったのは、この写真家に関する友人たちの発言だった。とりわけ、ロマン・ポランスキ Roman Polański の、2人の共通の幼年期・青年期に関する話が興味深かった。
感動的だったのは、ナチス占領期のクラクフのユダヤ人ゲットーで、3歳のリショ [リシャルトの愛称] の誕生日のために両親が苦労して手に入れたチョコレートドリンクがリショにはおいしくないということが、7歳のロメク [ロマンの愛称] は理解できなかったということだ。
今日Googleで調べてみたところ、ロマンは少し間違えていたようだ。なぜかというと2人の履歴を見ると、ポランスキはホロヴィッツより4歳ではなく、6歳年上なのだ。だがそれはあまり重要ではない。
それからまたポランスキの口からもホロヴィッツの口からも聞いたのだが、2人の家族はクラクフのプランティ近くの集合住宅でいっしょに暮らしていたことがあり(俺が40年以上そこで暮らしていたように)、いっしょにごくささやかな方法で写真の実験をしたことがあるという。
幼いリショともどもホロヴィッツの家族がアウシュヴィッツ・ビルケナウに収容され、オスカー・シンドラー工場の活動のおかげで助かった経緯は大変感動的であった(映画『シンドラーのリスト』参照)。
長年ポーランドから遠く離れているこの2人のアーティストの話の内容と、彼らがいかに純粋なポーランド語を話すかに注意深く耳を傾けていると、彼らはまずいちばんにポーランド人であり、次にユダヤ人であるという印象を抱く。
by nagamimi_2
| 2010-11-30 22:00
| 歴史