2010年 11月 05日
国の情勢に関する私個人の報告 |
ポーランド国家はまったく弱体である。その弱さをしだいに頻繁に様々な方法で示している、というかあからさまにデモンストレーションしている。私にとって最良の指標―リトマス試験紙であるのは、国家の教会に対する関係とその逆の関係である。
最高国家権力の教会への奇妙な従属は、ポーランド第2共和国 [1918-1945] 時代から我々国民を悩ますパラノイアである。戦間期 [第1次世界大戦から第2次世界大戦の間] のごとく、現在もあらゆる折に聖水が振りまかれ、香が焚かれる。ほぼすべての新築の建物が聖水を振りまくことなしには済まず、学校にも役所にも、果ては高等裁判所の壁にまで十字架が掛かっているが、これは明らかに憲法違反だ。他の憲法違反のケースなら大騒ぎになるところだが、なぜかこのことはだれも気にしない。
国家弱体の最良の例が、最近ワルシャワで大統領官邸前のいわゆるスモレンスクの十字架を近くの教会へ移動しようとする際に起きた。信心深く祈り、熱狂的に十字架を振りかざす数十人の徒党、いわゆる「十字架の擁護者たち」を国は手に負えない危険な群衆と見なした。
その無知蒙昧な輩は、教会と合意済みの作業全体を何週間も封鎖し、国会業務を不安定にしさえした。教会自体も彼らには手を焼いた。交渉人として教会が派遣した神父は彼らに口汚く罵られ、つばを吐きかけられた。彼らが交渉相手として要求していたのは普通の神父ではなく大司教だったからだ。
もう一つの例は最近公表された、体外受精に関する法律の件での国会における強要である。教会は体外受精の普及には反対の立場で、しつこく自らの正当性を弁護するあまり、司教会員である大司教が、この法律の自由化に賛成する国会議員らを破門すると脅迫したのだ。
真面目な政治家たちは教会から破門されることを恐れ、幼子のようにズボンとパンツを震わす。しかし彼らを非難するには当たらない。彼らはカトリック信者であり、彼らの恐怖はほぼ弁明されている。
もっとも非難に値するのは、その忌まわしい教会の恐喝である。そう、これは恐喝である。ほかに名付けようがない。教会が国会議員を恐喝して脅かし、この方法で法律と政治モデルの形成に多大な影響を及ぼすとは、いったいなんたる国だろう? これが現在のEUだろうか?
残念ながらこのプリミティヴで村落的なカトリック教が我が国を破滅させ、ヨーロッパにおいても世界においても物笑いの種にしているのだ。大多数のポーランド国民の精神構造はいまだに中世の異端審問じみている。我が国において教会が公私を問わず生活のあらゆる面に口出ししつづける限り、我々は無知蒙昧のままだろう。
そして、どうかポーランドの政治家の方々は、ヨーロッパのキリスト教的ルーツについて怒号するのはおやめなさい。なぜなら最初に存在したのは古代ギリシャ・ローマ文化なのだから。
キリスト教はよろしい。でも狂信は抜きで、だ。歴史上の、火と剣と血に対する「しかるべき」信仰への帰依を、魔女と「異端者」の火あぶりを思い起こすのはもうたくさんだ。そろそろ目を覚ましてこの国の現実に取りかかる潮時である。
SLD [民主左翼連合] がミスを犯したのは残念だ。その結果政権を引き継いだ保守派は、あいにく自らのカトリック教を誇示しすぎている。アレクサンデル・クファシニェフスキ Aleksander Kwaśniewski 政権がなつかしい。クファシニェフスキは慎重なやり方で宗教への敬意を示しながらも、政教分離とは何か、非教会的な国家とは何かがわかっていた。
現在あらゆるものが示すところによると、我々が暮らしているのは宗教国家である。だが私はこんな国では暮らしたくない。ここはヴァティカンではないのだ。
最高国家権力の教会への奇妙な従属は、ポーランド第2共和国 [1918-1945] 時代から我々国民を悩ますパラノイアである。戦間期 [第1次世界大戦から第2次世界大戦の間] のごとく、現在もあらゆる折に聖水が振りまかれ、香が焚かれる。ほぼすべての新築の建物が聖水を振りまくことなしには済まず、学校にも役所にも、果ては高等裁判所の壁にまで十字架が掛かっているが、これは明らかに憲法違反だ。他の憲法違反のケースなら大騒ぎになるところだが、なぜかこのことはだれも気にしない。
国家弱体の最良の例が、最近ワルシャワで大統領官邸前のいわゆるスモレンスクの十字架を近くの教会へ移動しようとする際に起きた。信心深く祈り、熱狂的に十字架を振りかざす数十人の徒党、いわゆる「十字架の擁護者たち」を国は手に負えない危険な群衆と見なした。
その無知蒙昧な輩は、教会と合意済みの作業全体を何週間も封鎖し、国会業務を不安定にしさえした。教会自体も彼らには手を焼いた。交渉人として教会が派遣した神父は彼らに口汚く罵られ、つばを吐きかけられた。彼らが交渉相手として要求していたのは普通の神父ではなく大司教だったからだ。
もう一つの例は最近公表された、体外受精に関する法律の件での国会における強要である。教会は体外受精の普及には反対の立場で、しつこく自らの正当性を弁護するあまり、司教会員である大司教が、この法律の自由化に賛成する国会議員らを破門すると脅迫したのだ。
真面目な政治家たちは教会から破門されることを恐れ、幼子のようにズボンとパンツを震わす。しかし彼らを非難するには当たらない。彼らはカトリック信者であり、彼らの恐怖はほぼ弁明されている。
もっとも非難に値するのは、その忌まわしい教会の恐喝である。そう、これは恐喝である。ほかに名付けようがない。教会が国会議員を恐喝して脅かし、この方法で法律と政治モデルの形成に多大な影響を及ぼすとは、いったいなんたる国だろう? これが現在のEUだろうか?
残念ながらこのプリミティヴで村落的なカトリック教が我が国を破滅させ、ヨーロッパにおいても世界においても物笑いの種にしているのだ。大多数のポーランド国民の精神構造はいまだに中世の異端審問じみている。我が国において教会が公私を問わず生活のあらゆる面に口出ししつづける限り、我々は無知蒙昧のままだろう。
そして、どうかポーランドの政治家の方々は、ヨーロッパのキリスト教的ルーツについて怒号するのはおやめなさい。なぜなら最初に存在したのは古代ギリシャ・ローマ文化なのだから。
キリスト教はよろしい。でも狂信は抜きで、だ。歴史上の、火と剣と血に対する「しかるべき」信仰への帰依を、魔女と「異端者」の火あぶりを思い起こすのはもうたくさんだ。そろそろ目を覚ましてこの国の現実に取りかかる潮時である。
SLD [民主左翼連合] がミスを犯したのは残念だ。その結果政権を引き継いだ保守派は、あいにく自らのカトリック教を誇示しすぎている。アレクサンデル・クファシニェフスキ Aleksander Kwaśniewski 政権がなつかしい。クファシニェフスキは慎重なやり方で宗教への敬意を示しながらも、政教分離とは何か、非教会的な国家とは何かがわかっていた。
現在あらゆるものが示すところによると、我々が暮らしているのは宗教国家である。だが私はこんな国では暮らしたくない。ここはヴァティカンではないのだ。
by nagamimi_2
| 2010-11-05 23:55
| 日々