2010年 10月 26日
クレージー・ホースの像 |
長さ195m、高さ172mもあるオグララ・スー族の勇士の巨大像の建設はすでに62年も続いている。ポーランド系のコルチャク・ジュウコフスキ Korczak Ziółkowski が、「狂った馬 Crazy Horse」の親族であるヘンリー・スタンディング・ベア Henry Standing Bear の招きに応じ、ブラック・ヒルズ Black Hills でこの像の建設を始めたのは1948年のことであった。 現在の作業はポーランド系彫刻家の息子たちが続けている。サンダーヘッド山の岩に、ダイナマイトと重い機械と、そしてもちろん彫刻の道具を使って像を刻んでいく。
比較のためにいうと、ここから北東15kmのところにある有名な4人の大統領の頭像は高さ18m、コルチャク・ジュウコフスキはその共同製作者である。
コルチャク・ジュウコフスキの初期の重要作。
「狂った馬(ラコタ語でタシュンケ・ウィトコ Tasunka Witko)」の像の制作開始にあたって彼はこの計画の自主性を保ちたいと考え、基本的に国(アメリカ合衆国)からのあらゆる財政的補助を拒否した。1982年に亡くなった彫刻家ルースのイニシアチブで、クレージー・ホース記念基金 Crazy Horse Memorial Foundation ができた。この基金は非営利団体で、像の建設のために当該目的の寄付金から資金を供給している。 「狂った馬」は1876年のリトルビッグホーンの戦いで名を上げたが、その後まもなく裏切られて殺された。彼は白人との接触を避けていたので、100%彼だといえる写真は知られていない。もっとも有名な「クレージー・ホース」の写真は別のスー族の戦士を写したものだ。 「My land is where my dead lie buried」(俺の土地とは俺の仲間が葬られている場所だ)という彼の言葉はかつて父ジュウコフウスキを魅了し、今では基金とクレージー・ホース記念センター Crazy Horse Memorial Center のモットーとなっている。2007年までにこの計画には1700万ドルが費やされた。 完成すると像はこのように見える。
(テレビでこのテーマに関するドキュメンタリーを観たあと、インターネット上の資料を利用しました)
比較のためにいうと、ここから北東15kmのところにある有名な4人の大統領の頭像は高さ18m、コルチャク・ジュウコフスキはその共同製作者である。
「狂った馬(ラコタ語でタシュンケ・ウィトコ Tasunka Witko)」の像の制作開始にあたって彼はこの計画の自主性を保ちたいと考え、基本的に国(アメリカ合衆国)からのあらゆる財政的補助を拒否した。1982年に亡くなった彫刻家ルースのイニシアチブで、クレージー・ホース記念基金 Crazy Horse Memorial Foundation ができた。この基金は非営利団体で、像の建設のために当該目的の寄付金から資金を供給している。
(テレビでこのテーマに関するドキュメンタリーを観たあと、インターネット上の資料を利用しました)
by nagamimi_2
| 2010-10-26 23:55
| 歴史