2010年 05月 07日
兵士になったクマ |
1つはこうだ。1942年、ロシアの強制収容所や監獄から出てペルシャへ撤退したポーランド人兵士らは、ハマダンという町の近くの山地に一時とどまった。そこで缶詰1個と引き替えに腹を空かせたペルシャ人の少年から子グマを買った。
もう1つの説によると、1942年4月3日、イレナ・ボキェヴィチ Irena Bokiewicz はこの子グマをポーランド人将校からプレゼントされた。ペルシャのパーレビ港からテヘランに向かう途中の山地で、平服着用のポーランド軍は小グマを連れた少年のグループに出会った。イレナがあまりにその子グマに夢中になったので、将校の1人が彼女に買ってあげたのだ。
イレナはそのプレゼントとともに女性援助隊に参加することになり、子グマは将校クラブに居場所をもらった。将校たちの朝食を準備するとき、子グマは早めにそこへ行って、よく皿から卵を盗み食いしたものだ。また食料貯蔵庫にこっそり入りこんでは果物の砂糖煮を食べ尽くし、電話が鳴ると前肢でぶち壊した。ついに皆の堪忍袋の緒が切れて、クマは軍といっしょにその先へ送られた。
はじめの説に戻ろう。兵士たちは子グマの餌をどうしようかと考える。子グマは缶詰も乾パンも食べられないので、コンデンスミルクを薄めてウオツカの空き瓶に注ぎ入れ、布でおしゃぶりを作ってやる。子グマは両前肢で瓶をつかんで飲み、その瓶を抱えて寝入る。ごく幼いときはまさにそうやって育てた。
のちに当然ながら甘い物とビールが大好物になった。もちろん蜂蜜にも目がなく、缶から爪で器用にすくった。また煙草を好んで食べたが、火をつけたものだけだった。火をつけてないものは、すぐに吐き出した。
瓶ビールをもらうと、まずうれしそうに匂いを嗅ぎ、ガラスを舐めてから、仰向けに横になり、両前肢に瓶を持ち、口に当てて飲み干した。最後に目を細めて中をのぞいた。ビールを飲んだあとは千鳥足になることもあった。
ヴォイテクは兵士たちと遊ぶのが大好きで、取っ組み合いをしたりボクシングをしたりした。その際、人を傷つけたことは一度もなかった。
クマの専門家によると、ヴォイテクはUrsus arctos syriacus チャイロシリアグマという種類で、この種類のクマを他のクマのように完全に飼い慣らすことは不可能である。この気まぐれな動物は、ものすごい力と恐ろしく鋭い爪を持っている。たとえ生まれたときから人間の間で育てられたとしても、遅かれ早かれ人間にとって危険になる。しかしヴォイテクの場合は違ったのだ。
つづく。
by nagamimi_2
| 2010-05-07 23:56
| 歴史