2010年 02月 04日
「グストロフ」の悲劇と65年後の恥 |
この船に約1万人の避難民がひしめきあって乗船した。1月30日、バルト海でソヴィエトの潜水艦が発射した魚雷3本が「グストロフ」に命中した。
「タイタニック」の事故は広く世界に知られているが、それよりもずっと大きな悲劇(これまでで最大)が「グストロフ」の沈没である。このとき9000人以上が死亡し、その大部分が女性と子どもであった。
最近この悲劇の65周年を記念して、ドイツ系少数住民のイニシアティヴで、グダンスクのレデンプトール教会に記念の銘板がはめ込まれた。この式典にポーランド人政治家や地方自治体の人間は一人も現れなかったが、「法と正義 PiS」の2人の議員、アンジェイ・ヤヴォルスキ Andrzej Jaworski とズビグニェフ・コザク Zbigniew Kozak がこの銘板を撤去するよう要請した。
「グストロフ」に兵士やUボート乗組員、ゲシュタポ、NSDAP [ナチス] 党員とその家族が乗っていたことは真実だが、しかし大部分は非武装の民間人の女性と子どもだったのである。
あるインターネット・ユーザーが正当にもこう書いている。氷に覆われたバルト海で溺れた子どもたちのことを思えば、議員だって彼らの国籍など考えなかっただろう。だが俺の見るところ、「法と正義」の貧乏シュラフタどもは、ポモジェ [バルト海沿岸] 地方のドイツ人嫌いを演じて、自分たちが目立ちたい、広い海へ漕ぎ出したいと思っているのだ。
他方、大いに評価すべきはレデンプトール会士エドヴァルト・プラチュ Edward Pracz である。彼は銘板をはめ込み、共同の祈祷にプロテスタントの牧師とユダヤ教のラビを教会へ招いた。これは重要なことだ。なぜなら同じ修道会に、莫迦げた見解で有名なラジオ・マリヤのボス、リジク Rydzyk 神父がいるからである。リジク神父はヤヴォルスキ議員の心のグル [導師] である。
by nagamimi_2
| 2010-02-04 23:55
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