2009年 08月 12日
カプシチンスキと日本犬のこと |
最近亡くなったリシャルト・カプシチンスキ Ryszard Kapuściński のすばらしい本を数冊読んだあと、いまはさまざまな国の彼の翻訳者たちの回想を読んでいるところだ。それらは大変興味深く、各翻訳者が互いに関係なく、世界的に有名なこの人物と始めて会った際、彼の魅力的な存在や、相手を尊敬する仕方などに驚いたと口々に書いている。また彼のテクストをむさぼるように読み、それらを翻訳したいと強く思った、と書いている。
とりわけルーマニアのミハイ・ミトゥ教授がそうだ。彼の回想によると、1988年、ポーランド大使館のパーティーにチテルニク Czytelnik (読者の意)出版社が約200冊の新刊を運んできて、ルーマニアの文学愛好家、翻訳家、ポーランド文学研究者が招待された。そのとき初めてカプシチンスキの本を手に取ったのだという。
いくつかの断片を読んだら、もう目を離すことができなかった。でもそこは宴席だったから、乾杯したり、食べたり人と話をしたりしなくてはならなかった。それに、『皇帝 Cesarz』のような本にあんまり興味を示していることをルーマニアのスパイに気取られないよう気を付けなくてはならなかった。なぜならこの本の中には、どんな共産主義体制も、みずからの現実へのあてこすり的類似に気付くことができたからで、とりわけチャウシェスク夫妻の体制はそうだった。読者もそのことに気付いていたが、ポーランドではカプシチンスキを印刷することも読むことも禁止されなかった。
ミハイ・ミトゥは当時大使館で興味をそそられた『皇帝』の断片を引用している。俺はこれで二度目の大笑いをした。それはエチオピア皇帝、ハイレ・セラシェの宮殿でかつて働いていた人の告白である。
それは小さな日本犬でした。名はルルといいました。ルルは皇帝の寝台で寝る権利がありました。さまざまな儀式の最中に皇帝の膝から逃げ出し、お偉方の靴におしっこをひっかけたものでした。高官たちは靴が濡れたと感じても、身じろぎもいかなる身ぶりもしてはいけませんでした。私の仕事は立ち並ぶ高官の間を歩いて、彼らの靴から尿を拭きとることでした。それには繻子の布巾が使われました。これが私の10年間の任務でした。
面白い話として付け加えるが、1964年の春か夏に俺はハイレ・セラシェをバシュトーヴァ通りの自宅の窓から見たことがある。二列の人垣に囲まれて、皇帝はリムジンのオープンカーに立ったまま通り過ぎた。それは政治的にバカげた公式訪問だった。ついでに言うと俺はこれと同じ方法で二年後にド・ゴール将軍を目にした。やはりリムジンのオープンカーに立って、ときおり敬礼していた。軍帽の下には巨大な鼻が突き出ていた。そんな風に彼を記憶した。俺は12歳だった。
とりわけルーマニアのミハイ・ミトゥ教授がそうだ。彼の回想によると、1988年、ポーランド大使館のパーティーにチテルニク Czytelnik (読者の意)出版社が約200冊の新刊を運んできて、ルーマニアの文学愛好家、翻訳家、ポーランド文学研究者が招待された。そのとき初めてカプシチンスキの本を手に取ったのだという。
いくつかの断片を読んだら、もう目を離すことができなかった。でもそこは宴席だったから、乾杯したり、食べたり人と話をしたりしなくてはならなかった。それに、『皇帝 Cesarz』のような本にあんまり興味を示していることをルーマニアのスパイに気取られないよう気を付けなくてはならなかった。なぜならこの本の中には、どんな共産主義体制も、みずからの現実へのあてこすり的類似に気付くことができたからで、とりわけチャウシェスク夫妻の体制はそうだった。読者もそのことに気付いていたが、ポーランドではカプシチンスキを印刷することも読むことも禁止されなかった。
ミハイ・ミトゥは当時大使館で興味をそそられた『皇帝』の断片を引用している。俺はこれで二度目の大笑いをした。それはエチオピア皇帝、ハイレ・セラシェの宮殿でかつて働いていた人の告白である。
それは小さな日本犬でした。名はルルといいました。ルルは皇帝の寝台で寝る権利がありました。さまざまな儀式の最中に皇帝の膝から逃げ出し、お偉方の靴におしっこをひっかけたものでした。高官たちは靴が濡れたと感じても、身じろぎもいかなる身ぶりもしてはいけませんでした。私の仕事は立ち並ぶ高官の間を歩いて、彼らの靴から尿を拭きとることでした。それには繻子の布巾が使われました。これが私の10年間の任務でした。
面白い話として付け加えるが、1964年の春か夏に俺はハイレ・セラシェをバシュトーヴァ通りの自宅の窓から見たことがある。二列の人垣に囲まれて、皇帝はリムジンのオープンカーに立ったまま通り過ぎた。それは政治的にバカげた公式訪問だった。ついでに言うと俺はこれと同じ方法で二年後にド・ゴール将軍を目にした。やはりリムジンのオープンカーに立って、ときおり敬礼していた。軍帽の下には巨大な鼻が突き出ていた。そんな風に彼を記憶した。俺は12歳だった。
by nagamimi_2
| 2009-08-12 19:30
| 歴史