2009年 04月 23日
病んだ国 |
今朝「ドゥジィ・フォルマト Duży Format」[ガゼタ・ヴィボルチャ紙別冊付録] で、ヤツェク・カルピンスキJacek Karpińskiに関するルポルタージュを驚きと落胆とともに読んだ。
ヤツェク・カルピンスキは1960年代半ば、すでにスーツケース・サイズのコンピューターを組み立てる構想を持っていた。コンピューターが部屋の壁一面を占めていた時代に、持ち運びできる「計算機」などという発想はだれにも思いつかなかったが、彼にはすでにその構造的基礎の設計図があった。
それに対してポーランド政府はどう答えたか? 役人どもはこう言った。もしそんな構造が可能ならアメリカ人がすでに作っているだろう、と。無論このアイデアの実現化の方向では何もなされなかった。
カルピンスキは自分の企画を持ってイギリスに行った。そこで数人のビジネスマンが専門家を雇い、専門家らが書類を調べた。結果は画期的だったので、すぐにも製造を開始したがった。しかしヤツェク氏はきわめて愛国的で、それに同意しなかった。彼はポーランドが自分の発明から何らかの利益を得るようにしたいと考え、なおも同国人の思慮分別に期待を抱いて帰国した。
自国では電子工学の分野でも成功したが、そのせいで敵を増やしただけだった。結局職場から追い出された彼は、1970年代後半に土地を買い、鶏と豚を飼った。1980年、彼の元にやってきたニュース映画の取材スタッフは、彼ほどの科学者が豚の相手をすることを好んでいることに大変驚いた。彼は、本物の豚を相手にするほうがましだ、と言うのだった。
そこでも当局が彼の邪魔をしたため、ついにみずからの信念に逆らってスイスへ出国し、そこでポーランド系の設計者ステファン・クデルスキStefan Kudelskiとともに、有名なプロ用テープレコーダー、ナグラNagraを製作したのである。
ポーランドの体制が変わったのちに彼は帰国し、レシェク・バルツェロヴィチLeszek Balcerowicz副首相のIT問題顧問になった。自由な国で自分の新しい発明品を製造したいとも考えた。それがいわゆるペンリーダー、すなわちテクスト(手書きも)の内容を認識するスキャナーであった。すでに製作機械を購入し、シリーズ試作品もできあがっていたとき、銀行が突然ローンを撤回したため、工場はカルピンスキの自宅ともども競売にかけられた。
実際、体制の変化も、一般の人々や優秀な自国民を破壊するこの国の病には役立たない。ビジネスマン、ロマン・クルスカRoman Kluska[ポーランドの最大手コンピューター・メーカーOptimus元代表。2002年にOptimusの脱税容疑で逮捕されたが、翌年訴訟は取り下げ、彼に対する起訴は破棄された] の場合もそうだったし、レフ・ヴァウェンサ Lech Wałęsa [ワレサ]の場合も同じである。ヴァウェンサは世界中で尊敬されているのに、自国ではつばを吐きかけられている[敬虔なカトリック教徒である彼が冒涜行為を働いたとか、内務省のスパイと関係していたなどとする誹謗中傷的な内容の本が出版された]。
首相と大統領はどこぞの会議でどちらが国を代表するかや政府専用機をめぐって口論し、この国を物笑いの種にする。ブリュッセルではポーランドのEU議員らがホテルの石鹸を盗んだり、反ユダヤ主義のパンフレットを出したりして、ポーランドの名誉を傷つける。
共産主義政権後に変わったのは、我々を虐げるあらゆる汚らしい物事の包み紙だけなのだ。
追伸。ヤツェク・カルピンスキ氏は今日82歳である。
追伸2。カルピンスキのペンリーダーは、日本人が作った最初のこうした器械よりも1年半早かった。
ヤツェク・カルピンスキは1960年代半ば、すでにスーツケース・サイズのコンピューターを組み立てる構想を持っていた。コンピューターが部屋の壁一面を占めていた時代に、持ち運びできる「計算機」などという発想はだれにも思いつかなかったが、彼にはすでにその構造的基礎の設計図があった。
それに対してポーランド政府はどう答えたか? 役人どもはこう言った。もしそんな構造が可能ならアメリカ人がすでに作っているだろう、と。無論このアイデアの実現化の方向では何もなされなかった。
カルピンスキは自分の企画を持ってイギリスに行った。そこで数人のビジネスマンが専門家を雇い、専門家らが書類を調べた。結果は画期的だったので、すぐにも製造を開始したがった。しかしヤツェク氏はきわめて愛国的で、それに同意しなかった。彼はポーランドが自分の発明から何らかの利益を得るようにしたいと考え、なおも同国人の思慮分別に期待を抱いて帰国した。
自国では電子工学の分野でも成功したが、そのせいで敵を増やしただけだった。結局職場から追い出された彼は、1970年代後半に土地を買い、鶏と豚を飼った。1980年、彼の元にやってきたニュース映画の取材スタッフは、彼ほどの科学者が豚の相手をすることを好んでいることに大変驚いた。彼は、本物の豚を相手にするほうがましだ、と言うのだった。
そこでも当局が彼の邪魔をしたため、ついにみずからの信念に逆らってスイスへ出国し、そこでポーランド系の設計者ステファン・クデルスキStefan Kudelskiとともに、有名なプロ用テープレコーダー、ナグラNagraを製作したのである。
ポーランドの体制が変わったのちに彼は帰国し、レシェク・バルツェロヴィチLeszek Balcerowicz副首相のIT問題顧問になった。自由な国で自分の新しい発明品を製造したいとも考えた。それがいわゆるペンリーダー、すなわちテクスト(手書きも)の内容を認識するスキャナーであった。すでに製作機械を購入し、シリーズ試作品もできあがっていたとき、銀行が突然ローンを撤回したため、工場はカルピンスキの自宅ともども競売にかけられた。
実際、体制の変化も、一般の人々や優秀な自国民を破壊するこの国の病には役立たない。ビジネスマン、ロマン・クルスカRoman Kluska[ポーランドの最大手コンピューター・メーカーOptimus元代表。2002年にOptimusの脱税容疑で逮捕されたが、翌年訴訟は取り下げ、彼に対する起訴は破棄された] の場合もそうだったし、レフ・ヴァウェンサ Lech Wałęsa [ワレサ]の場合も同じである。ヴァウェンサは世界中で尊敬されているのに、自国ではつばを吐きかけられている[敬虔なカトリック教徒である彼が冒涜行為を働いたとか、内務省のスパイと関係していたなどとする誹謗中傷的な内容の本が出版された]。
首相と大統領はどこぞの会議でどちらが国を代表するかや政府専用機をめぐって口論し、この国を物笑いの種にする。ブリュッセルではポーランドのEU議員らがホテルの石鹸を盗んだり、反ユダヤ主義のパンフレットを出したりして、ポーランドの名誉を傷つける。
共産主義政権後に変わったのは、我々を虐げるあらゆる汚らしい物事の包み紙だけなのだ。
追伸。ヤツェク・カルピンスキ氏は今日82歳である。
追伸2。カルピンスキのペンリーダーは、日本人が作った最初のこうした器械よりも1年半早かった。
by nagamimi_2
| 2009-04-23 20:00