2009年 02月 23日
もうたくさんだ! |
最近ノルウェーでは、イスラム教徒の女性警官が勤務中に制服姿でイスラム教のスカーフ(ヘジャブ)を着用する許可に関する論争と審議が続いている。当初、法務大臣がこれを許可した。その後、怒った社会の圧力のため、さまざまな口実を設けてこれを撤回した。火に油を注いだのがノルウェーのイスラム活動家である。彼は、イスラム教徒の女性警官が男性を逮捕することができないように、また男性と接触しないようにと要請したのである。
これはもうまったくのナンセンスで、ポリティカル・コレクトネス(政治的正当性)を曲解した例である。スカンディナビア諸国ではポリティカル・コレクトネスがまさにばかばかしい水準に達している。
法相は最初からイスラム教徒らとアルジェリア系の23歳Keltoum Hasnaouiの要求の圧力に負けた。彼女の夢はつねに警察官になることだったのだ。夢がかなうと、イスラム教徒に特徴的な権利主張の時期がきた。それは彼らが居住する寛容なキリスト教諸国における彼らの宗教的権利に関するものである。
だがヨーロッパの国で女性警官になると決めたのなら、そうなるべきであり、他の女性警官と同じく誇りを持ってその制服を身につけるべきなのだ。ヨーロッパの警察のいったいどこに、いかなるものであれ宗教の入る余地があるのか、さっぱりわからない。イスラム教はヨーロッパでしだいに厚かましく振る舞いはじめ、どんどん新たな要求を突きつけてくる。これに抗議するノルウェー人たちは、自国が明らかにイスラム化していると主張した。
俺はカトリック教徒でも外国嫌いでも人種差別主義者でもないが、しかしノルウェーの状況はひどく俺をいらだたせた。だって我々ヨーロッパ人はイスラム教諸国に出かければ、あるじの機嫌を損ねないように、そこの規則や習慣に合わせるじゃないか。もし非イスラム教徒がそこに住んでいたら、彼らは彼ら自身のための特別な権利を要求したりはしない。
ならば、なぜイスラム教徒は、いったん移民すると決めたなら、彼らに仕事と家と安全を与えてくれるその国の規則に適応しようとしないのだろうか? 彼らにモスクの建設や宗教的実践を禁止する者はいない。我々はサウジアラビアか他のイスラム教国にキリスト教会建設を要請しようとしてもいいのだが。もしそんな許可が下りたとしても、きっと数多くの綱紀粛正と制約がついてくるのだろう。多くのモスクに「非信徒」は入れないし、たまさか入場してしまった場合、死刑にされる恐れがある。だが我々はアラブ人がキリスト教会に入ることを禁止しないし、そこで帽子を脱げと命じることもない。
どうかその勇敢な(勇敢すぎる)女性警官が、それほどまでに警察官の帽子の下にヘジャブを着用したいなら、サウジアラビアに行くがいい。そこでは女性警官になるなんて考えを彼女の頭から、すぐにたたき出してくれるだろう、いやきっと背中から、公開鞭打ちで。ひょっとしたら彼女はそこで車を運転したいと思うかも? こんな気まぐれを起こせば即刻、監獄行きだ。
つい最近フランスでは、イスラム教徒の女生徒が学校にヘジャブを着けて通う許可を求めるイスラム教徒たちの要請が問題になった。ちょっと待てよ、かりに国家が無宗教で、国立教育機関においていかなる宗教的シンボルも許可しないのならば、何だってその国が学校における誰かさんの宗教的特殊性のデモンストレーションを許可しなくてはいけないんだ?
こんなふうにまさにヨーロッパ中(西側)で、背骨のヤワな政治家たちは一歩ごとにびくびくして、イスラム教徒国民らのますます新たな厚かましい要請に譲歩しているのだが、そうした国民が暮らすどの国もみずからの法を行使する権利があるということを忘れている(その慣習が刑法に触れなければ干渉することはない)。だがしばしばこの「慣習」が法に触れるばかりか、人間の規範にも触れるのだ。例えば、いわゆる「名誉」殺人を奉じる場合、その犠牲となるのはイスラム教徒の若い女性であり、その死刑執行者は男性の近親者である。だがこれは次回に、話が長くなるから。
このだんだんバカになっていくヨーロッパ世界で、我々はなぜ真実を言えないのだろうか?
これはもうまったくのナンセンスで、ポリティカル・コレクトネス(政治的正当性)を曲解した例である。スカンディナビア諸国ではポリティカル・コレクトネスがまさにばかばかしい水準に達している。
法相は最初からイスラム教徒らとアルジェリア系の23歳Keltoum Hasnaouiの要求の圧力に負けた。彼女の夢はつねに警察官になることだったのだ。夢がかなうと、イスラム教徒に特徴的な権利主張の時期がきた。それは彼らが居住する寛容なキリスト教諸国における彼らの宗教的権利に関するものである。
だがヨーロッパの国で女性警官になると決めたのなら、そうなるべきであり、他の女性警官と同じく誇りを持ってその制服を身につけるべきなのだ。ヨーロッパの警察のいったいどこに、いかなるものであれ宗教の入る余地があるのか、さっぱりわからない。イスラム教はヨーロッパでしだいに厚かましく振る舞いはじめ、どんどん新たな要求を突きつけてくる。これに抗議するノルウェー人たちは、自国が明らかにイスラム化していると主張した。
俺はカトリック教徒でも外国嫌いでも人種差別主義者でもないが、しかしノルウェーの状況はひどく俺をいらだたせた。だって我々ヨーロッパ人はイスラム教諸国に出かければ、あるじの機嫌を損ねないように、そこの規則や習慣に合わせるじゃないか。もし非イスラム教徒がそこに住んでいたら、彼らは彼ら自身のための特別な権利を要求したりはしない。
ならば、なぜイスラム教徒は、いったん移民すると決めたなら、彼らに仕事と家と安全を与えてくれるその国の規則に適応しようとしないのだろうか? 彼らにモスクの建設や宗教的実践を禁止する者はいない。我々はサウジアラビアか他のイスラム教国にキリスト教会建設を要請しようとしてもいいのだが。もしそんな許可が下りたとしても、きっと数多くの綱紀粛正と制約がついてくるのだろう。多くのモスクに「非信徒」は入れないし、たまさか入場してしまった場合、死刑にされる恐れがある。だが我々はアラブ人がキリスト教会に入ることを禁止しないし、そこで帽子を脱げと命じることもない。
どうかその勇敢な(勇敢すぎる)女性警官が、それほどまでに警察官の帽子の下にヘジャブを着用したいなら、サウジアラビアに行くがいい。そこでは女性警官になるなんて考えを彼女の頭から、すぐにたたき出してくれるだろう、いやきっと背中から、公開鞭打ちで。ひょっとしたら彼女はそこで車を運転したいと思うかも? こんな気まぐれを起こせば即刻、監獄行きだ。
つい最近フランスでは、イスラム教徒の女生徒が学校にヘジャブを着けて通う許可を求めるイスラム教徒たちの要請が問題になった。ちょっと待てよ、かりに国家が無宗教で、国立教育機関においていかなる宗教的シンボルも許可しないのならば、何だってその国が学校における誰かさんの宗教的特殊性のデモンストレーションを許可しなくてはいけないんだ?
こんなふうにまさにヨーロッパ中(西側)で、背骨のヤワな政治家たちは一歩ごとにびくびくして、イスラム教徒国民らのますます新たな厚かましい要請に譲歩しているのだが、そうした国民が暮らすどの国もみずからの法を行使する権利があるということを忘れている(その慣習が刑法に触れなければ干渉することはない)。だがしばしばこの「慣習」が法に触れるばかりか、人間の規範にも触れるのだ。例えば、いわゆる「名誉」殺人を奉じる場合、その犠牲となるのはイスラム教徒の若い女性であり、その死刑執行者は男性の近親者である。だがこれは次回に、話が長くなるから。
このだんだんバカになっていくヨーロッパ世界で、我々はなぜ真実を言えないのだろうか?
by nagamimi_2
| 2009-02-23 20:00