2009年 02月 06日
円卓会議 |
今日は円卓会議20周年記念日だ。親愛なる日本人読者に説明すると、20年前、当時のポーランドの共産主義政府の最重要人物らと反体制派とカトリック教会が、ポーランドの将来の運命の条件を交渉するため、特注で作られた巨大な丸いテーブルについたのである。そのとき、共産主義者たちは事実上、政権を反体制派の手にゆだねたのだ。これは俺が思うに、座ったまま起こした無血の革命である。だがこの出来事はさまざまな人々によって大変さまざまな方法で見られている。反対者はこれを裏切りとさえ見なし、まったくばかげたことだという。ひじょうに多くの見方があり、その説明をここでポーランド人以外の人たちにするとなると数十ページの論文になるだろう。
昨日国会で記念会議が開催され、戒厳令を発した張本人のヴォイチェフ・ヤルゼルスキ将軍さえ出席し、また記念すべき会議の他の多くの出席者も居合わせた。
いまレフ・ヴァウェンサ [ワレサ] と若者と教師らとの集いを見ている。彼が話すこと(原稿なしで)と、彼が質問に答えているのが聞こえる。大統領だったときよりも、ずっとうまく賢くなった。長年の経験が思慮分別を加えるのだ。彼が言ったことで一つ気に入ったことがある。それはベルリンの想い出で、ドイツ人のだれかが彼のいる前で、ベルリンの壁崩壊を絶賛したのだった。とのときヴァウェンサは、連帯のそれ以前の活動なしにはドイツ人にとってそうした状況が不可能だったということに気付いた。また、もしクレムリンの主がゴルバチョフでなかったら、壁を壊すとどうなっていたことかにも気付いた。また彼はドイツ人たちに、ドイツ人の「戦い」とはおもに東の諸国から西への逃亡であったことを思い出させた。ポーランド人は閉ざされた国にいて、実際に戦ったのだ。
こうした問題についてだれかが若者たちと話し合うのは良いことだ。なぜなら次第に多くの若い人たちが、戒厳令がいつだったかさえ、そもそもそれが何だったのかさえも知らなくなってきている。彼らの家庭では何を話しているのか? そもそも話し合っているのだろうか? おそらく話していない。両親は時間がない。おそらく知識もないのだろう。
追伸。この「集い」は人文科学・経済高等学校におけるレフ・ヴァウェンサの講演で、テーマはヨーロッパ統一へのポーランドの寄与。
追伸2。いまの大統領についてヴァウェンサ曰く「……カチンスキ? 当時彼は重要問題からはるか遠くにいたな。しゃべることなんかなかった。あれ取ってこい、それ持ってきて、そこ掃除しとけ……ってなもんだったな」 ヒヒハハ。
昨日国会で記念会議が開催され、戒厳令を発した張本人のヴォイチェフ・ヤルゼルスキ将軍さえ出席し、また記念すべき会議の他の多くの出席者も居合わせた。
いまレフ・ヴァウェンサ [ワレサ] と若者と教師らとの集いを見ている。彼が話すこと(原稿なしで)と、彼が質問に答えているのが聞こえる。大統領だったときよりも、ずっとうまく賢くなった。長年の経験が思慮分別を加えるのだ。彼が言ったことで一つ気に入ったことがある。それはベルリンの想い出で、ドイツ人のだれかが彼のいる前で、ベルリンの壁崩壊を絶賛したのだった。とのときヴァウェンサは、連帯のそれ以前の活動なしにはドイツ人にとってそうした状況が不可能だったということに気付いた。また、もしクレムリンの主がゴルバチョフでなかったら、壁を壊すとどうなっていたことかにも気付いた。また彼はドイツ人たちに、ドイツ人の「戦い」とはおもに東の諸国から西への逃亡であったことを思い出させた。ポーランド人は閉ざされた国にいて、実際に戦ったのだ。
こうした問題についてだれかが若者たちと話し合うのは良いことだ。なぜなら次第に多くの若い人たちが、戒厳令がいつだったかさえ、そもそもそれが何だったのかさえも知らなくなってきている。彼らの家庭では何を話しているのか? そもそも話し合っているのだろうか? おそらく話していない。両親は時間がない。おそらく知識もないのだろう。
追伸。この「集い」は人文科学・経済高等学校におけるレフ・ヴァウェンサの講演で、テーマはヨーロッパ統一へのポーランドの寄与。
追伸2。いまの大統領についてヴァウェンサ曰く「……カチンスキ? 当時彼は重要問題からはるか遠くにいたな。しゃべることなんかなかった。あれ取ってこい、それ持ってきて、そこ掃除しとけ……ってなもんだったな」 ヒヒハハ。
by nagamimi_2
| 2009-02-06 21:00