2009年 01月 13日
偽善 |
あいにく俺は喫煙者であり、過去に二度、悲劇的な偶然の一致で禁煙の試みを失敗した(禁煙するたびに近親者が亡くなったのだ)。でもささやかな成功もある。吸う煙草の本数を一日20本以上から10本に減らしたのだ。33年間毎日一箱吸っていたので、これはまた相当な自制心と意志力が必要であったし、相変わらず必要である。
様々な活動家や政治家たちは社会の中で喫煙の習慣と熱心に戦っている。ポーランド国内だけでなく、様々な国々で様々な結果が出ている。大騒ぎの末、アメリカ、イギリス、アイルランドなどでは飲食店内での喫煙が禁止され、ここ数年旅客機内に喫煙席はもう無い。駅も禁煙だし、最近クラクフでは路面電車の停留所でも禁煙になった。
万事OK、これは理解できる。しかし、路面電車の停留所の境界線はどこなのか?禁止を考えた人のうちだれかに説明してほしいものだ。これを考え出した役人は刷毛を持った人を送って、その境界線をはっきり歩道に記してほしい。なぜかというと、これまでその規則は市警備隊か警察が自分の気まぐれで、罰するか罰しないか勝手に適用することができるからだ。もしペンキで描く人がいなければ、役人自身が社会活動の一環として社会の健全のためにバケツと刷毛を持っていけ。
そもそもそれほど恐ろしい毒物ならば、なぜ合法で、どうして国家が事前に考慮して油断なく専売で防備を固めながらそれを製造しているのか?
もう一つの危険な物質、アルコールも同じことだ。事がそれほど単純ではないことはわかっている。なぜなら産業全体、工場、仕事場、等々があるからだ。しかしこの信じがたい偽善はいったい何のためだ? 麻薬の使用と売買を禁止することは可能か? 可能だ。ならば偽善者たちよ、煙草の製造と使用、アルコール消費を禁止したまえ。不可能だ、そうだろ? だが仕事場の問題だと嘘をつくのはやめたまえ。世界中で問題なのは金なのだ。だからせめて、喫煙が合法であるからには、バカげた方法で喫煙者を差別するのはやめてくれ。ひじょうに多くの人がパブでビールを飲みながら煙草を吸うのが好きだ。どうして店を「喫煙」と「禁煙」に分けないのか? 禁止ばかりで生きていくことはできない。このことはすでに共産主義者も思い知っている。
様々な活動家や政治家たちは社会の中で喫煙の習慣と熱心に戦っている。ポーランド国内だけでなく、様々な国々で様々な結果が出ている。大騒ぎの末、アメリカ、イギリス、アイルランドなどでは飲食店内での喫煙が禁止され、ここ数年旅客機内に喫煙席はもう無い。駅も禁煙だし、最近クラクフでは路面電車の停留所でも禁煙になった。
万事OK、これは理解できる。しかし、路面電車の停留所の境界線はどこなのか?禁止を考えた人のうちだれかに説明してほしいものだ。これを考え出した役人は刷毛を持った人を送って、その境界線をはっきり歩道に記してほしい。なぜかというと、これまでその規則は市警備隊か警察が自分の気まぐれで、罰するか罰しないか勝手に適用することができるからだ。もしペンキで描く人がいなければ、役人自身が社会活動の一環として社会の健全のためにバケツと刷毛を持っていけ。
そもそもそれほど恐ろしい毒物ならば、なぜ合法で、どうして国家が事前に考慮して油断なく専売で防備を固めながらそれを製造しているのか?
もう一つの危険な物質、アルコールも同じことだ。事がそれほど単純ではないことはわかっている。なぜなら産業全体、工場、仕事場、等々があるからだ。しかしこの信じがたい偽善はいったい何のためだ? 麻薬の使用と売買を禁止することは可能か? 可能だ。ならば偽善者たちよ、煙草の製造と使用、アルコール消費を禁止したまえ。不可能だ、そうだろ? だが仕事場の問題だと嘘をつくのはやめたまえ。世界中で問題なのは金なのだ。だからせめて、喫煙が合法であるからには、バカげた方法で喫煙者を差別するのはやめてくれ。ひじょうに多くの人がパブでビールを飲みながら煙草を吸うのが好きだ。どうして店を「喫煙」と「禁煙」に分けないのか? 禁止ばかりで生きていくことはできない。このことはすでに共産主義者も思い知っている。
by nagamimi_2
| 2009-01-13 20:00