TVNのトーク番組『Rozmowy w toku(ロズモヴィ・フ・トク=会話進行中)』とTTVでのその再放送は、しだいに見る気がしなくなっている、というか、だんだんうんざりしながら見ている。番組ホステスのエヴァ・ジュジズガ Ewa Drzyzga はコンセプトを見失い、しだいに愚かになっているようだ。
以前の彼女は、本当に興味深く社会的に難しいテーマを扱い、自分のスタジオで、小さな町に住むロマやポーランドの近隣諸国の人々と和解することさえできた(これは気に入った)のに、いまじゃポピュリズムと安っぽいセンセーションに陥っている。
たとえば昨日は、身体障害を持つ若い人たちがセックスにどう対処しているのかというところまで聞いて見るのをやめた。実際、他人がそれをどうやっていようと関係ないし、身体障害者であればなおさらだ。これは不健全で悪趣味な好奇心である。
他の点では感じのよい車いすの青年が、自分がバイアグラを飲むと「さらにいっそう」体に悪いのではないかと彼女が心配した、と話した瞬間にチャンネルを変えた。 ジュジズガは、どうだった?と訊き、青年は「zajebiiiście!(ザイェビシチェ=英語のfu○kingにあたるポーランド語の表現)」と答え、エヴァと聴衆からやんやの喝采を受けた。最高だね! それもこんな文脈では!
このいまいましい単語は、なにやら奇妙な方法で、『mamtalent(私には才能がある)』や『tylkomuzyka(音楽だけ)』
[いずれも素人のタレント発掘オーディション番組] といった多くのポップカルチャー番組において許可証を獲得してしまった。なにかというと出演者も審査員もこの単語を観衆に誇示している。
もしかしてこれに気付いた人がいたのかもしれない。アグニェシカ・ヒリンスカ Agnieszka Chylińska (M・フォレムニャク M. Foremniakだったかもしれない)が、奇妙で一見婉曲的な定義「zajedwabiście(ザイェドヴァビシチェ)
[zajebiście(fu○king)にjedwab(イェドヴァプ=絹)をくっつけた造語]」を使い始めたからだ。だが、いやらしい物から彼らを解放することはあまりに難しく、それを絹でくるんでも何の役にも立たない。
彼らが自分の祖母や曽祖母に、かつてロシアの赤軍兵士が「解放された」地域の娘たちに何をしたのか、兵士がそれをなんと呼んでいたのかと尋ねてみれば、彼らの耳目にすべてがそんなに「zajebiste(ザイェビステ)」であることをやめるのかもしれない。